東洋のマチュピチ 東平
20数年ぶりに新居浜を訪れて、同期の仲間と会える機会がやってきました。
50数年前、同期で入社した仲間はみんな同じ寮に入って、同じ飯を食って、風呂
で裸になって、仕事場に行って、帰ってソフトボールをやったり、ダンスパーティ
で可愛い女の子と踊ったりしたものですが、もうみんな年をとってしまいました。
そんな仲間に会いたいと新居浜に行って、滞在2日目の新居浜CCでの同期会懇親
ゴルフ、続いて大いに盛り上がった懇親会、二次会のカラオケの夜が明けて、まだ
少しお酒が残っている朝が来ました。
迎えに来ていただいた〇〇さんに、千葉から来た3人が乗せて頂いて、念願の東平に
向けて、まずはバス乗り場の端出場(はでば)に向かいます。
端出場で□□さんと合流して、色づいたもみじや、バスの時刻を見ていると、昨夜の
カラオケ屋で出会ったTさんが来てくれて、道案内をして頂けることになりました。
三歩と散歩道
Vol.170-sanpo3
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1: 東平への上り口 端出場
2: 端出場の黄葉
3: バス乗り場 案内
東洋のマチュピチ 東平行き
4: 東平への運行バス
案内のTさんの先導で、自家用車で出発
人の出会いというものは不思議なものですね。なんと、Tさんはマイントピアの関係者でした。
かなり急峻で狭い道をすいすいと先導して、山道の途中で止まって、昔の山道や社宅跡などを
説明してくれるガイドさんにもなってくれました。
マイントピア別子東平の索道停車場跡の駐車場に到着して、車を降りて周りを見渡します。
5:東平への登り路
社宅への旧い道跡
6:東平への登り路
旧社宅の跡
7:マイントピア別子東平案内図
中央のPマークの駐車場に到着。
8:索道停車場跡の駐車場
山はガスがかかっています。
9: マイン工房
10: 東平歴史資料館
東平歴史資料館を見学しました。
館内の説明を読み、白黒の写真を見ているうちに、すこしこみあげてくるものがあります。
閉鉱が昭和43年、ということは新居浜の会社に入社した時はまだ鉱山があって、この急峻な
山腹で、最大5000人の人が、鉱夫や母や子供が、家族で生活していて、このような白黒
の姿が、ここにはあったんだと、展示されています。
会社に入社する前の、生まれ育った家での貧しかった、白黒の生活が二重写しになるような
異様な感覚もあり「ああそうだ、あの頃はみんな、こんな白黒の生活が、当たり前だった」
と、写真を撮りながら感じたものでした。
11: 別子銅山説明図
12: 東平 配置図
13: マイントピア別子案内
マイン(鉱山)+ユートピア
14: 雪の保安本部跡
15: 保安本部跡 説明
16: 坑内列車
いつの時代か?
17: 保安本部跡
ここまで列車が走る
18: 東平 遠景
19: 社宅群
20: 社宅と子供
21: 社宅と子供
22: 社宅と生活
23: おしゃれして 遠足?
東平歴史資料館を出て、インクラインを通って貯鉱庫跡に向かいます。
煉瓦造りのしっかりした構造物が残っていて、眺めも良く、東洋のマチュピチと言うのは
この辺から出てきたのでしょうか?
まわりには花木もあって、春には素敵な景色になることと思われます。
24: ゚煉瓦
25: ゚煉瓦 説明
26: 索道基地跡
27: 貯鉱庫跡への上り道
28: 索道基地、貯鉱庫跡を背にして
記念撮影した同期の皆さん
29: 索道基地、貯鉱庫跡
30: ツツジ
31: 聞いたが、忘却
32: 黄葉したカエデ
33: マイン工房
案内していただいたT氏にお礼を言って別れて、下山するマイクロバスの後ろについて、
山を下り、端出場の駐車場に戻りました。
ここには、懐かしい泉寿亭の玄関が移設されている一角があり、カエデが黄色や赤に
色づいいるのを楽しんだり、すぐ横の変化にとんだ川べりを歩いて、四通橋を見たり、
発電所跡を眺めながら懐かしい一回りとなりました。
34: 移設された 泉寿亭
35: 紅葉
36: 紅葉
37: 紅葉に 十月桜が混ざっています
38: 荒々しい大岩と、澄んだ淵
39: 紅葉の中の 発電所跡
この後、新居浜の街まで戻り、讃岐うどんやであつあつと言いながらお昼にしました。
車に乗せて頂き、案内していただいた〇〇さんと□□さんとも、ここでお別れ。
お世話になったお礼を言って、次に会えるのはいつになるかと思いながら、強い握手を
かわして、少しじんとなりながら、お別れしました。 またあえるさ